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満もありますが、日本の都会に比べると生活しやすいと感じています。
12月も半ばが過ぎクリスマスが近づくと家々にイルミネーションによる飾り付けがなされ、雨によるどんよりとした雰囲気を吹き飛ばすように町中がとても華やかになります。家の中でライトアップされたミニチュアの楽隊が演奏するなど趣向を凝らしたものもあります。毎年、イルミネーション見学にツアーバスがでるという話です。毎年派手な飾り付けで有名な家を見に行きましたが、夜10時を過ぎているにもがかわらず、周辺は見物人の車で大渋滞でした。飾り付けは、とても個人の家とは思えないような凝ったもので、聞くところ職業は電気屋だとか。誰もがクリスマスを楽しみにしているのが、町中から伝わってきます。
3月にはいり少しずつ日が延びて来たころ、周りでは百武彗星の話題が聞かれるようになりました。町の明かりが日本に比べ少ないためか夜には星がとてもよく見えます。三日月の暗い部分までが薄く見えたり、月光による虹が見えたりと都会では体験できない現象を見ることができます。百武彗星も家の玄関から長く延びる尾をはっきり観察することができました。
4月8日のイースターより夏時間になり、時間が1時間ほど進みます。このため、日没が一気に遅くなりこの時点では午後8時ごろです。このころ、カナダの大平洋沿岸をザトウクジラが北上するという話を聞き、バンクーバー島の西海岸のクジラの町ユキューレットヘ行ってみました。シドニーから車で約6時間、パシフィックリム同立公園の中にあるレイン・フォレスト(原生林)に囲まれた小さな漁村です。ザトウクジラの大移動は日が限られており、その前後数日しか見られないとのことで

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写真-2クジラの町ユキューレットにて。後ろの船は、以前IOSの調査船だったが、今ではホテル・レストランとして人気がある。

情報不足の我々は見ることはできませんでしたが、春に教多く見られるグレーホエールを間近で見ることができました。今年は、例年になく雨が多く春の訪れが遅かったとのことですが、5月の後半になってようやく連日青空が見られるようになりました。これを待っていたかのように、あちこちで花が咲き、人々の目を楽しませています。町中、郊外に緑があふれてています。
このように、カナダでは自然を身近に感じる機会が数多くあります。日本と同様、環境・公害問題も抱えているはずなのですが、人間の生活、文化が自然という大きな枠の中に存在しているような印象を強く受けます。これは、人間の生活圏に比べ自然が圧倒的に大きく、また人々が自然を理解しうまく融合しているからではないかと感じています。
4.ある史実の紹介
IOSの正面玄関から入って階段を.下りてカフェテリアに向かう途中に古びた魚網、プラスチックのボトル、ブイや船舶の救命用浮輪などのがらくたが無造作に置かれています。中には日本語が記されたプラスチックの箱もあります。これらは、バンクーバー島の西海岸に漂着した物で、これにより海岸の生態系が影響を受けているとういうことを展示しているのです。遠く日本からの漂着物も見られるようですが、江戸時代には、バンクーバー島とファン・デ・フカ海峡を隔てて間近に望めるオリンピック半島のフラッタリー岬(米国ワシントン州)に漂流してきた日本人がいました。彼ら日本人の言葉、文字、行動は、海洋の生態系には影響を与えませんでしたが、周辺に住む人々の文化・生活には多少なりとも影響を与えたのではないでしょうか。1832年11月、名古屋から米や陶器を江戸に運ぶために出航した千石船が遠州灘で嵐に合い遭難しました。船は波により舵が壊れ、船の安定をはかり転覆を避けるために帆柱を切り倒したため、ただただ漂流するのみでした。食料は、積み荷の米か十分あり、海水を煮詰めて蒸留水をつくることにより真水を確保できたものの、14名いた乗組員のほとんどは壊血病で倒れ、3人だけが14か月の苛酷な漂流を乗り越え、フラッタリー岬に漂着したのです。その後、彼らは、当時北米の開発を行っていたイギリスのハドソンベイ会社に保護され、マゼラン海峡を通ってロンドンに寄り、アフリカの喜望峰を回ってマカオにたどり着くのです。そしてマカオから日本への帰国

 

 

 

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